「Time After Time」
午後十時の薄明かり

午後十時の薄明かり 11   幸宏

 ←午後十時の薄明かり 10   幸宏 →午後十時の薄明かり 12   幸宏

人波に押されて、ホームへと転がり出た。
ついさっきまでの、恐怖と不安は、嘘のように消えていた。
冷や汗をかいたのか、手のひらがぬるついている。



なんだったんだ、あれ?
初めてだよな、あんなに気持ち悪くなったの。
人混みや音なんて、別に気にしたことなかったのによ。
会社行くのがイヤとかってのは、何度も思ったことあるけどさ。

...頭ん中、ガンガンしてたよなぁ。

ほんっと、なんなんだろ?



腑に落ちないとは思ったが、もう会社は目の前だ。
今日のタスクへと頭を切り替え、ジャケットの内ポケットからIDを取り出した。




軽い頭痛が残ったが、いつも通りに仕事をこなし、あっという間に退社時間。
今日は早く消えてしまおうと考えていると、部長の湯浅から、ミーティングルームへ呼ばれた。


「川瀬、お前、体調悪いんじゃないのか?」


単刀直入に切り込まれて、意外に思った。

湯浅は、五十代後半の生え抜き社員。
自分のような外様には、興味がないように思えたからだ。

いや、興味がないのは、自分にだけではない。
出世競争から落ちこぼれて、残りの数年を無事に過ごせばそれでいい。
そう考えているようにしか見えなかった。


「この一ヶ月で、報告書や企画書のミスが三ヶ所あった。
 以前なら考えられないような凡ミスだ。
 お前が起案したわけじゃないが、チェックはしてるはずなんだよ」


一ヶ月で、三ヶ所。
自分では、全く気づいていなかった。
湯浅が指摘した記憶もない。

正確さと緻密さには自信があった。
その分、同僚や部下には煙たがられている自覚もある。



あー、やっぱ、俺、おかしくなってんのかなぁ。
仕事でミスの見落としって、新人じゃねぇんだし。

軽く考えてたけど、今朝も変だったよな。
鳥肌立つし、吐きそうだったしよ。



仕事だけは、きちんとこなしているつもりだった。
そうではなかったことに、打ちのめされる。

しかし、今は隠さなければならない。
転職するにしても、まだ何の準備もできていない。
下手に肩でも叩かれては、不利になることは簡単に予想できる。


「すみませんでした。新しい環境に慣れてきて、つい気が緩んだようです。
 以後、気をつけます」


頭を上げると、湯浅は、まだ何か言いたげだ。
眉間に皺を寄せ、言葉を探しているように見える。


「んー、暇になったからって、気が緩むようなタイプじゃないだろ。
 半年も見てりゃ、そのくらいわかる。
 それに、お前は、仕事は好きでも、命懸けようとまでは思ってないだろ。
 無理しすぎて、どっかおかしくなってんじゃないのか?」

「............」

「心配しなくても、肩叩きなんかじゃないからな。
 お前みたいな優秀な社員、使い潰せば、俺の評価が下がる。
 それにな、これはオフレコだが......。
 うちの会社に命賭けたって、ろくなことないぞ」


湯浅の言葉は、意表をついた。


海外勤務が長く、戻ってきた時には、既に同世代の出世競争は終了していた。
本社の空気に馴染むこともできず、早期退職制度に応募したくとも、まだ大学生の息子が二人。
その結果、淡々と日々を過ごしているのだと、本人が冗談交じりに話していた。

そんな湯浅が、外様の自分を気にかけたことに驚いた。
その口調が、吐き捨てるようなものだったことにも。
普段の湯浅は、ニコニコと穏やかで、物静かなイメージしかなかった。




「合併で生き残れなかったのは、そっちの人間ばかりじゃない。
 見切りをつけて辞めたヤツは、まだマシなんだ。
 コースから外れたことに耐えられなくて、心が壊れたヤツもいる。
 挙句に、首括ったヤツもいるんだよ」


窓の外を見ながら、湯浅は、苦々しげに吐き捨てた。


「だからな、ヤバいと感じた時には、さっさと逃げろ。
 お前は、背負うもんがない分、逃げるにも身軽だろ?」

「......ご心配、ありがとうございました。
 その時には、さっさと逃げますんで、後はよろしくお願いします」


湯浅の過去に何があったのかは、知らない。
しかし、触られたくないほどの傷を抱えていることは、感じられた。

自分が新しい傷になるようなことはしたくない。
そう思い、頭を下げると、湯浅は声を出して笑っている。


「よし、その調子だ。
 出勤してきた時とは、大違いな顔してる。
 これで、安心して帰れるぜ」


ポンっと肩を叩いて、湯浅は帰っていった。

不思議な爽快感だけを残して。








家に帰り着いて、まずパソコンを起動した。
転送しておいた、卓也への返信に、湯浅との会話を書き加える。
もちろん、体調のことは伏せて。

余計な心配はかけたくない。
知らせてしまえば、卓也は、自責の念に駆られるだろう。
診察の結果が出てから、相談すればいいことだ。

ただ、湯浅のような上司がいたことが、なんとなく嬉しかったのだ。
話すのなら、まず卓也に話したいと思う。


『幸宏さんって、結構、乙女なとこありますよね』


大樹に、からかわれたことを思い出した。



乙女...かもしれねぇな。
卓也相手だと、自分でも情けねぇけど、女々しくてガキだしよ。



浴槽にゆったりと浸かって、体を解す。
翌日のことを考えていると、湯浅の言葉が、何度も思い出される。



今朝みてぇに、また気持ち悪くなったりすんのかな。
まぁ、いざとなったら、休んじまえ。
今週は、急ぎの仕事、ないはずだし。



いざとなったら、逃げてもいいのだ。
そう考えるだけで、肩の凝りが薄くなる気がする。

今夜は、久しぶりに、ゆっくり眠れそうだ。











にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL小説へ
にほんブログ村

関連記事
スポンサーサイト


総もくじ 3kaku_s_L.png SOLD OUT
総もくじ 3kaku_s_L.png Double Fantasy
総もくじ 3kaku_s_L.png Blue Sky,True Mind
総もくじ 3kaku_s_L.png Happiness!
総もくじ 3kaku_s_L.png True Colors
総もくじ 3kaku_s_L.png Time After Time
総もくじ 3kaku_s_L.png Crossroad
もくじ  3kaku_s_L.png お知らせ
総もくじ  3kaku_s_L.png SOLD OUT
総もくじ  3kaku_s_L.png Double Fantasy
総もくじ  3kaku_s_L.png Blue Sky,True Mind
総もくじ  3kaku_s_L.png Happiness!
総もくじ  3kaku_s_L.png True Colors
総もくじ  3kaku_s_L.png Time After Time
総もくじ  3kaku_s_L.png Crossroad
もくじ  3kaku_s_L.png 雑記
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
  • 【午後十時の薄明かり 10   幸宏】へ
  • 【午後十時の薄明かり 12   幸宏】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【午後十時の薄明かり 10   幸宏】へ
  • 【午後十時の薄明かり 12   幸宏】へ